「馬子にも衣装、受験生にもチューリップ」
みなさん、3月です。卒業シーズンです、この度は和服を着てみようか?などと考えられた方も多いのではないでしょうか。
小さいお子様が幼稚園を卒園したり、中学生が中学校を卒業したり・・・。この卒業というシーンを毎年見るに、確実に年をとるんだなと実感します。
ただ漫然と仕事をしているだけでは、強く感じません。しかし、特に子供の成長というのは学年が上がっていき、一年一年が確かに過ぎているんだなとわかりやすいです。
一方、大きな桜の木。学校の校庭によくあったりします。毎年、全く同じように変わらず咲いて見えるのは不思議な光景のようにも思います。
一年一年、月日は着実に流れているはずなのに全く同じ風景を見ているようです。そのシーンは大きな雄大なる自然は恒久で年をとっていかないと物語っているように感じます。
さて今をさかのぼること何十年、私の高校3年の時、卒業式の日の想い出があります。その想い出について少し話したいと思います。
たぶん3月1日だったのではないでしょうか。卒業式が終わり、帰るときです。
校門、ここを何度通ったことでしょうか。3年間、ずっと通い続け、そして、最後にここを通り抜け出るときの出来事でした。部活の後輩の男子から「一輪のチューリップ」をもらったのです。
思いがけず、花をもらってとても嬉しかったこと!花ってすごいですね。花を贈ることって時として人の心に残る想い出となるすばらしいプレゼントなんですね。
チューリップをくれたのはバトミントン部の後輩でした。私はたいして部活にも出ず、幽霊部員でしたから、もらった時、「え!」という感じでした。
「そうか、自分は一応バトミントン部だったね。」「みんな、優しいね。」
こんなロクに練習にもいかなかった私にも、敬意をつくしてくれて、チューリップを手渡されて、それを持って校門を出ていく自分が嬉しかったです。素直に。
私は、そもそも、一年の時、最初にテニス部に入部しました。なんか、格好いいような気がしたので。
毎日友達と早くコートに行って勝手にボールを打っていました。しかし、2・3年生が来ると、どかされて、玉拾いと声出しでした。そして辞めました。
(というより一年生で、入ったばっかりで、まったくテニスをやったこともないのに、図々しく、何喰わぬ顔をして勝手に打ちたくて打っていただけですが・・・。)
2ヶ月ほどでしょうか。ちなみにテニス部の顧問は、自分の担任でした。しばらくして、一年の3学期にプロレス好きの友人に誘われて、バトミントン部に入りました。
そして案の定、たいして練習もせず、筋トレを何故か頑張りました。実はプロレスの技が本当にあんなに上手くいくのか、やってみようということで、基礎体力をつけてからということで、しばらく頑張りました。
そして、コブラツイスト(プロレスの技)のかけあいをやっている現場を顧問の先生に注意されました。
そんなこともあり2年生以降殆ど練習に出ることはなく、受験には体力も必要だなどと、たまに聞いては、遊びがてらに年に数回参加していました。
こんなバトミントン部に思い入れのない私でしたが、チューリップをもらいました。
ここから学べる教訓は、「人に愛を配る」ということでしょうか。もしこのチューリップを貰わなかったら、私の高校時代にとって、このバトミントン部はプロレスの技の練習場という、笑い話に終わっていたでしょう。
しかし、人から愛され、花を貰い、心を育ててもらった貴重な部活動だったと、トータルでは考えられます。
最後になりますが、3月、4月は一つの節目です。歯や体の健康に留意して、次なるスタートを切りたいものです。